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今日はアドラー心理学における、『劣等コンプレックス』について解説していきます。
まず、劣等感の意味を辞書で引いてみましょう。辞書では、劣等感とは自分が他者より劣っているという感情とされています。コンプレックスも同様の意味でつかわれることが多いですが、辞書では複合的な心理などとされています。
他者よりも劣っているという劣等感にはさまざまな種類があるでしょう。例えば、体型や容姿、能力、学歴などが考えられます。他者と自分を比べた時に、多くの人が何かしらの劣等感を感じるのではないでしょうか。特に、子どもの場合は大人と自分を比較し、劣等感を感じることが多いかもしれません。
次のような子どもの発言を想像してみてください。「ぼくは背が低くくて、スパイクが打てないからバレーボールはできない。大人みたいに背が高ければできるのに。」この発言から、子どもは大人と自分を比較して、背の高さに対する劣等感を感じていると言えます。
アドラー心理学では、その劣等感を言い訳のように使うことを劣等コンプレックスと呼びます。背が低いという劣等性を理由に、○○できないと結論付けるのです。
目的論で捉えてみましょう。目的はバレーボールをしないことであり、そのために背の低さという劣等感を必要としていると考えることができます。いわば、バレーボールをしない言い訳です。また、他者と比較して、その劣等性さえなければ、自分にもできるという可能性を持っていたいという心理もあるでしょう。現実を直視せず、可能性の中に生きてしまうのです。
一見、「背が低いからバレーボールでスパイクが打てない」という考え方は当たり前の因果関係に思えるかもしれません。背が低ければしょうがないよね、と。しかし、一概にそうは言えません。事実として160cmほどの身長の方でも、バスケのゴールリングに手が届くほどのジャンプ力を持つことがあります。
ジャンプ力に関して言えば、努力で高められることです。確かに才能という一定の事実はあるでしょうが、努力もそこにあるに違いありません。つまり、身長が低いからジャンプが低いという因果関係は絶対的な関係ではないことがわかります。このようにあたかも因果関係があるかのように捉えることを、アドラー心理学では『見かけの因果律』と呼びます。この自分の思い込みから始まる『見かけの因果律』が人生を複雑にしてしまうのです。
さて、ここまで劣等コンプレックスについて説明してきましたが、劣等コンプレックスは生きる上での障壁になるのではないでしょうか。しかも、自分で作り上げた障壁です。その障壁によって、どんどん世界は狭く複雑になり、進みたい選択肢も少なくなっていってしまいます。
ここで紹介したいのがこの記事のタイトルにも挙げた『ハイキュー!!』というマンガです。高校生である主人公が、背が低いながらもバレーボールで活躍していくというサクセスストーリーです。この主人公は、背が低いから鋭いスパイクを打てないと結論付けるのではなく、背が低いからこそ背が高い人よりも努力しようとするのです。自分の劣等性を言い訳にすることなく、努力で補おうとするわけです。まさに、劣等コンプレックスからの脱却の例です。(ストーリーも面白いので機会があればぜひ一読を!)
しかしながら、マンガのような努力を簡単にできるものではないかもしれません。できない理由を見出した方がきっと楽に違いありません。それでも、今の自分より一歩先に進みたいのであれば、劣等感を言い訳に生きることをやめ、努力の時間を積み重ねるしかありません。
変えられないものへの執着を捨て、変えられるものを変えていくことで、劣等コンプレックスから脱却することができ、私たちの跳躍はより高くなっていくはずです。
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[…] 簡単に2つのコンプレックスについて触れておきましょう。劣等コンプレックスとは、自らの劣等感を言い訳として、○○できないと結論付けることでした。例えば、「私は頭が悪いからテストで良い点が取れない。」というようにです。続いて、優越コンプレックスとは、自分の劣等感を補償するために権力者や有名人と親密であることをアピールしたり、ブランドものを過度に身につけて偽りの優越感に浸る状態を指します。詳しくはハイキュー!!にみる劣等コンプレックスからの脱却、劣等感を補償する優越コンプレックスの記事をご覧ください。 […]