劣等感を補償する優越コンプレックス

みなさんごきげんよう(^∧^)

今日はアドラー心理学における『優越コンプレックス』について解説していきたいと思います。前回の記事で説明した劣等コンプレックスのスペクトラムとして、優越コンプレックスが存在します。優越コンプレックスの状態では、劣等感に対して努力で向き合うのではなく、もっと簡単に自分を補償しようとするのです。

さて、みなさんは「桐島、部活やめるってよ」という映画はご存知でしょうか。この映画は、学園のヒーロー的な存在の桐島くんが突然部活をやめ、友人たちの前からも姿を消してしまうことから物語が始まります。人気者が突然いなくなったことにより、そこに依存していた周囲の人々が浮き彫りになっていく様子が描かれています。

この映画を見て、私は一つの気付きを得ました。それは、桐島くんが所属していた部活のチーム、友人グループ、クラスメイト、交際相手などその誰もがヒーロー的な存在である桐島くんと”親密”であることをステータスにしているということです。

↓『桐島、部活やめるってよ』も見れます!

決して自分自身は特別ではないけど、ヒーロー的な存在の人と親密だという一点において、特別であろうとしているのです。現代社会において、スクールカーストが問題視されていますが、どのような対人ネットワークを持っているかということがステータスとなり、彼らの世界では人気のある生徒とのつながりが価値のあることと言えるでしょう。自分の劣等感を補償するための対人関係構築であるかもしれません。

人気の生徒や権力者、有名人などと親しい関係にあることをアピールしたり、またはブランドものを過度に身につけたりすることで、偽りの優越感に浸る。これが優越コンプレックスの現れであり、権威付けと呼ばれています。

そして、この優越コンプレックスの根源となるのは、やはり他者との競争です。対人関係の中で、他者との競争を軸として持つことで、他者は“敵”として認知することになります。

他者が“敵”となれば、他者の幸せを純粋に喜ぶことができず、きっとそれを上回る幸せを手に入れようとし、さらにアピールするでしょう。AさんはBさんよりも幸せになろうとし、BさんはAさんより幸せになろうとするという、ある種の切磋琢磨であるかもしれませんが、ここには注意が必要です。なぜなら、そのアピールの目的は、他者に良いと評価されたり、認めてもらったりすることであり、これは他者の価値観の中に生きていることになるからです。AさんはBさんが羨むものを手に入れようとし、Aさん自身が価値を見出したものではないということです。

このように他者を“敵”として認知した瞬間から、人は他者との競争の舞台に立っており、他者より良くあろうと生きていきます。そして、良くあろうとする基準が他者であるうちは、他者の価値観の中に生きているということになるのです。

アドラー心理学では、他者を“敵”ではなく“仲間”として認知する重要性が語られています。この認知の変容は非常に難しいことでありますが、忘れてはいけないのは私たちは主観的な世界に住んでいるということです。自分自身が主観的に意味づけした世界は、いつでも自分で変えることができます。世界の見え方も今ここから変えられるのです。

林修先生の名言が思い起こされます。「いつやるか?今でしょ!」と。

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劣等・優越コンプレックスをABAで捉える | アドラーとABA

[…] 簡単に2つのコンプレックスについて触れておきましょう。劣等コンプレックスとは、自らの劣等感を言い訳として、○○できないと結論付けることでした。例えば、「私は頭が悪いからテストで良い点が取れない。」というようにです。続いて、優越コンプレックスとは、自分の劣等感を補償するために権力者や有名人と親密であることをアピールしたり、ブランドものを過度に身につけて偽りの優越感に浸る状態を指します。詳しくはハイキュー!!にみる劣等コンプレックスからの脱却、劣等感を補償する優越コンプレックスの記事をご覧ください。 […]

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