未学習へのアプローチ

みなさんごきげんよう(^_^)v

今日のテーマは『未学習への援助』です。前回の記事で扱った課題の分離と絡めて考えていきたいと思います。課題の分離について簡単に説明すると、他者と自分の課題を切り離し、他者の課題への介入を避けるという考え方です。課題が誰のものかを見極めるためには、その行動の結果の責任を誰が負うかということを考える必要があります。ここで、1つの事例を見ていきましょう。

交通ルールの知らない子どもが、街中を自由に歩いています。子どもは横断歩道や信号の意味も知らず、気ままに歩きまわっています。この後にどんなことが想像できるでしょうか。

もしかすると、交通事故などの恐ろしい結果が待っているかもしれません。さて、ここで課題の分離という考え方は適応できるでしょうか。交通ルールを守るかどうかは子どもの課題であり、他者が介入すべきことではないと言えるでしょうか。

答えは「No」です。この例に挙げた子どもは、そもそも交通ルールを知らない、つまり交通ルールについて『未学習』なのです。これは、課題として捉えるのではなく、まだ学習できていないこととして援助をする必要があります。

このように課題の分離として捉えるべきことと、そうではない未学習のことに対応をわけることができそうです。前回の記事では宿題をしない子どもについて例を挙げましたが、宿題をしなかった結果を知りながら遊びに明け暮れる子どもと、結果を知らない子どもでは、援助の仕方が異なるということです。

さらに『誤学習』についてもふれておきましょう。読んで字のごとくではありますが、例を挙げて説明します。先の例で交通ルールを知らない子どもが難なく無事に家に帰れたとします。この子どもは、道路のど真ん中を歩いたり、道路で遊んだりしましたが、車が止まってくれたおかげで、何も問題がありませんでした。このような結果があると、子どもは『誤学習』する可能性があります。道路で遊んでも特に問題はないと。

身近なところでいけば、かんしゃくも誤学習である可能性があります。お店で欲しいものがあって、かんしゃくを起こし、欲しいものを獲得しようとする。欲しいものを獲得する手段として、かんしゃくを用いているのであれば誤学習であると言えます。このように誤って学習された行動についても、適切な行動を学習できるよう援助が必要となります。

まとめると、なんでも課題の分離をするわけでもなく、なんでもすぐに援助するということではないということです。分離すべき課題なのか、未学習・誤学習であって援助を必要としているのかを識別することが重要なポイントではないでしょうか。

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