おはようございます!
ブログ再開から45日目の朝です!
もうすぐ50日の壁が見えてきました。
やろうと思えばなんとか続くものですね~
さて、今日は『承認欲求』についてアドラー心理学をもとに考察してみたいと思います!
ネット上である記事を見ました。
それはテレワークによって承認欲求が満たされなくなっているという話でした。
コロナ禍により急速にテレワークが普及したわけですが、それによって会社の人とコミュニケーションの機会が大幅に減った方もいらっしゃるかと思います。
人と直接会う機会が少なくなれば、それだけ人に認められたり、自分を価値あるものとして認めらりすることは難しいことなのかもしれません。
どれだけ仕事をしても人に認められず、役に立っているかどうかわからないというのは少し悲しいですね。
このことに対して、アルフレッド・アドラーならきっとこう言うでしょう。
『他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。自分は世の中に貢献しているという自己満足で十分である』と。
【承認欲求を満たそうとする人の課題とは?】
承認欲求を自分で自覚している人もいれば、そうでない人もいるでしょう。
私の印象では無意識的な人が多いように思います。
例えば、職場で「あれやっておきました!」「これやっておきました!」とその都度アピールする方がいますが、無意識的でしょう。
そういう姿を見ると、そんなことしなくても皆きちんと気づいてくれるよと思うわけですが、当の本人はなかなかそうは思えないものです。
こんな風に、承認欲求を満たそうアピールする人には2つの課題がありそうです。
1つは他者を信頼できていない。
もう1つは自分を受け入れられていない。
です。
【他者を信頼できていないとは?】
他者を信頼できているなら、一々アピールしなくていいはずです。
自分の働きをきちんと知ってくれている人たちだと思えていないからこそ、わざわざアピールするのだと思います。
自分の働きをその都度公言しなくても、それをわかってくれる人々が周りにいるということを信じなければいけません。
とは言え、周りのみんなが同じように承認欲求を満たそうとする人々かもしれませんが、それとは関係なく他者を信じられるかが課題です。
【自分を受け入れられていないとは?】
自分で自分の価値を受け入れられていないからこそ、他者に認めてもらおうとするわけです。
他者の評価が常にないと、自分に価値があると思えないということ。
こういうメンタルは健康とは言えないかもしれません…
他者への依存なわけです。
テレワークの話を先にあげましたが、誰かに認められなくても会社や社会に貢献していると感じたいものです。
【アピールする人はどう見える?】
自分を受け入れることができておらず、他者の評価を求めようとアピールする人はあなたの目にどう映りますか?
「がんばってるなぁあの人。私も頑張ろう!」と思いますか?
それとも「なんであんなアピールするんだよ。うるさいなぁ。」と思いますか?
あるいは「俺の方ができることを見せつけてやる!」と思うでしょうか。
アピールすることによって相手を競争の舞台に引き寄せることがあります。
自分の承認欲求を満たし優越感を得られる一方で、他者に劣等感を感じさせるわけです。
こうなると競争のはじまりですね。
相手を見下して自分を持ち上げる。
一本の梯子を他者を蹴落としながら登っていくイメージでしょうか。
まぁ簡単に言うと、アピールすることは自分にとっては気持ちいいことかもしれないけど、他者にとってはそうでないということなんです。
アピールじゃなくて事実の報告でいいわけです。
私がああしてこうしたからこういう結果が得られました!ではなく、こういう結果が得られました。でいいんです。
【今日のまとめ】
今日はテレワークと承認欲求の話から始まりましたね。
テレワークだと承認欲求が満たされずに困るらしいのです。
じゃあ、承認欲求を満たそうとするのはやめたらどう?ということなんです。
自己受容し、他者を信頼し、主観的に他者に貢献できている感覚があればテレワークだろうと宇宙ステーションでのワークだろうと関係ない。
見てくれる人がいようといまいと関係ないのだと思います。
ここに心理的な自立がある。
私もこのブログが人の役に立っているのかどうかはわかりません。
でもいつか誰かの役に立つだろうという主観的な貢献感で書いています。
それだけで45日間書き続けられるわけです。
いや、ほんとは「勉強になった!」とかありがたいフィードバックを受けて書き続けているところもありますが(笑)
それがなくても書いていける。
ということで今日はここまでです!
ではまた明日!