ストレスとのつきあいかた

先日、トレーニング中に使っているプロテインシェイカーの行方が急にわからなくなった。
妻に聞いてもわからなかったが、義母に聞いたら捨ててしまったかも…とおっしゃられた。
まぁそんなこともあるさ。

このときマイナスの感情がなかったといえば、それはウソになる。
大きくはないけれど義母に対するマイナスの感情はあった。
怒りというよりも悲しみが近い。
こういうとき私は、「あぁ学びのチャンスが来た」と思う。
自分の感情がどのように流れていくのか、どんな言葉が頭の中に浮かぶのか、そしてどう対処するのかを観察する絶好のチャンスだ。

まず私の考えはこうだった。
「許可を得ず捨てた!?どうしたらそうなるんだ!?」
意味がよくわからない。ということだと思う。
自分の所有物を他人が勝手に捨てるということの納得できる理由が見つからず混乱した。
しかし、それを口には出さないで、ただその考えをそのままにしておく。

その後はこうだった。
「捨ててしまったのならしょうがない。代用品を探そう。」
とても切り替えがはやい。
そしてシェイカーの代用品を見つけて、アミノ酸やらクレアチンやら傍から見たら怪しげな粉と水を混ぜてトレーニングの準備に取り掛かった。

それからも「捨てるってどういうこと!?」という考えが何度か浮かんできた気がするけれど、そんな考えとは争わないことにしている。
消そうとはせず、やっぱりそのままにして観察する。

義母とも当然争いはしない。
義母の行動を責めても、プロテインシェイカーは帰ってこないのだし。
「あぁ、大丈夫っす。」なんて適当な返事をする。
しかし、あえて責め立てる選択肢もあり得る。
同じ失敗を繰り返さないでほしいからだ。
でも私の考えはこうだった。
「あえて言う必要はない。今日の出来事からわかってくれる。」

失敗を失敗とわかっているであろう人にあえて失敗を責めても勇気をくじくだけだと思う。
責めてどうなるかというと、相手が自分に恐怖心を抱くだけだ。
相手を屈服させるだけだ。
そうすると関係が悪くなって、良い暮らしは無い。

もしこれが子どもだとしたら、失敗したことに対して子どもの考えを聴くことで学びになることがある。
たとえば、「このことからどんなことを学んだ?」とか「どんなことがわかった?」と尋ねてみる。
言葉が上達した子どもであれば、「○○したら××になる。」というようなことを答えることができて、子どもが言葉でもって体験を整理する機会を援助する。
当然、義母には必要のないことだ。

というようなことも考えていた。
そんな考えが浮かびながらもそれは自由にそのままにしておく。
身体はなにをしているかというと、筋トレをしていた。
考えがいくら浮かぼうと筋肉を動かすことはできるんだ。

人間は動物のように感情のままに振る舞ったりしない。
マイナスの感情があっても、落ち着けることができるし、マイナスな思考があってもそれに影響されない行動ができると思う。
感情はいずれ消失するので、黙っていれば良い。
あるいは身体の力を意識的に抜けば良い。
マイナスな思考は消そうとせずにそのまま自由にさせておけば良い。
思考と感情そのままに筋トレすれば良い。

これが私のストレス対処です。

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