育児という仕事

【育児】というのは人間の行う仕事のなかで最も尊い仕事だと思う。
その一方で、やっかいであることもまた違いないと思う。

昔々は、祖父母と同居してあるいは近くに住むことで援助を求めやすい形をしていたが、最近では核家族化してしまって育児に際して祖父母の協力を得ることが難しくなってしまった。
このような形になると、子の両親のうちどちらかあるいは両方が働きに出かけて、子どもは片親がみるか保育園でみることになる。

我が家はと言えば、私が働きに出て、妻が娘をみている。
このような暮らしの形は多そうだが、こうなってくると育児は相当きついと思う。

仕事であれば適当に手を抜くことができるし、一人の時間だって作れるけれども、育児とあれば子どもに付きっきりで、まとまった休憩時間があるわけでもない。
ゆっくりトイレに行く暇もないだろう。
子どもが小さいうちはとてもやっかいで、一人で見るにはやっぱり重労働だと思う。
さらには育児の片手間に家事なんかもこなしていて、私の仕事なんかよりよっぽど大変に違いない。

社会的には【育児】をどう見ているだろう?
育休とかそういう制度の充実はあるものの、女性の社会進出だとかに力を入れているように見えて、外に出て働くことを応援しているように感じる。
それはそれで大事なことだろうけど、あまりに社会のそういう応援が強まると、家庭で育児をすることとの優劣を感じる人が出てきてしまうのではないかと心配だ。
つまり、社会に出て働くことが優れていて、家庭で育児することが劣っているだとか感じたり、社会から疎外されているように感じたりするかもしれないということだ。
育児を他の仕事と対等な仕事であると認めて、育児という仕事に向き合う主婦あるいは主夫をもっとサポートできるような社会全体の構えが必要だと思う。

【育児】とは、これからの次の世代の世界を築き、支えていく人を育てるプロセスだ。
いま目の前にいる一人の子が成長して、多くの人のしあわせを作っていく大人になるのだから、そのプロセスに携われるということは偉大なことだと思う。
だから私は育児に努める人を尊敬し、応援したい。

それでいま私にできることはなんだろう?
育児に励む人にメッセージを書くことくらいかな。

【育児】に努めるそこのあなたへ
育児は本当に偉大な仕事だと思います。
他の誰かが社会で働いていようと、そこに劣等感を抱く必要は微塵もありません。
育児という仕事は休憩の枠組みもないし、自分の時間もほとんどない、おまけに給料もでないというブラックなものにも関わらず、外で仕事をしている人からは楽をしているなんて思われて、たくさんの「苦」があるかもしれません。
育児がなければ…と夢を膨らませることもあるかもしれません。
うまくやりたいのに、うまくいかないことの方が多いかもしれません。
そんな大変な仕事を担ってくださっていることに、心から尊敬と感謝の意を表します。
育児という偉大な仕事を担うあなたも偉大なんです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です