人の目が気になる、という悩みごとがよくある。
私も以前はとても人の目が気になって身動きが取りにくかった。
思い出すと、高校生のときなんかはゲオとかTSUTAYAとかそういうところに一人で行くことができず、それも周りの目が気になって、いつも友人についてきてもらっていた…
そんな悩みごとについて今日は考えてみたい。
人の目が気になるという人に対して「人の目なんか気にするな。人は人だ。」と助言することもできるが、そんなことができるなら苦労しないと言い返されて終了だと思う。
さて、人の目が気になるというのはどういう点で困るのだろう?
たとえば、自分のしたいことができないとか、言いたいことが言えないとか、自分らしく振舞えないということかもしれない。
つまりは、自分がしたいことよりも人からどう思われるかが目的になっていて、他者からの自分のイメージを操作しようということだと思う。
しかし、そんなことは可能だろうか?
あるひとつの絵画を鑑賞して、十人十色の解釈があるように、人を見ても十人十色の解釈がある。
なので、鑑賞される絵画がどんなに名作で美しくあろうとも、批判的に見る人はいるし、肯定的に見る人もいる。
鑑賞される絵にはどうしようもできないことなのだ。
ということすらも人は百も承知で、やっぱり人の目を気にすると思う。
人からどう思われるだろうかという自己への執着は根強いですな。
人の目を気にするというのは、他の人に関心を払っているようで、実はセルフイメージへの関心でしかないと思う。
キビシイ言葉で表現すると、自己への執着だ。
ここで「なぜ、私は人の目を気にするのか?」なんて考え始めてはいけない。
最もらしい答えは見つかるかもしれないが、そんなものは暮らしを豊かにはしない。
まずは人の目が気になることをどうにかしようとしないこと、そのままにしておくことが重要なことだと思う。
そのうえで、「これからどうするか?」を考える。
人の目が気になりながらもどうするか、なにができるか、なにをすべきか。
為すべきを為すである。
そういえば私は人の目を気にすることはほとんどなくなった。
まぁ人からどう思われるかを気にしていたらブログなんて書けませんわね。