おはようございます!
ブログ再開から31日目です!
昨日ふと見たニュースから、これはアドラーの提唱した共同体感覚に反しているのでは!?と思ったことがありました。
なので今日はそれについて書いてみようと思います。
いや突然、共同体感覚ってなんだよって感じですよね。
共同体感覚はアドラー心理学における重要な思想で、欠かせないものです。
読んでくださる方があぁそういうことか!と思えるようにまとめていきたいと思います!
【共同体感覚とは?】
オーストリアの精神科医であったアルフレッド・アドラーは共同体感覚という概念を提唱しました。
共同体感覚とは聞きなれない言葉ですが、2つの意味が込められています。
1つは自分は共同体と1つであるという感覚。
2つめは共同体のための感覚。です。
日本にアドラー心理学を広められた野田俊作さんは共同体感覚を次のように言っています。
共同体感覚とは、「これはみんなにとってどういうことだろうか、みんなが幸せになるためには私は何をすればいいだろうかと考えて行動すること」(野田,2014)
そして、共同体感覚の反対の概念は自己執着です。
つまり、自己執着とは「これは私にとってどういうことだろうか、私が幸せになるためには私は何をすればいいだろうかと考えて行動すること」です。
さて、想像してみてください。
もしも、人類みんながこの共同体感覚をもっていたらどんな世界があるでしょうか。
もしも、人類みんながこの自己執着をもっていたらどんな世界があるでしょうか。
【今の世界は?】
残念ながら後者の自己執着的な世界でしょう。
きっと大部分が自己執着的です。
人類が共同体感覚をもつ世界であれば、戦争などは起きません。
共同体感覚をもつ世界とは共同体と協力し調和する世界です。
私にとってどういうことかだけでなく、みんなにとってどういうことかという他者の視点を持てる世界です。
アドラーは共同体感覚を英語圏で『Social interest』と表現しました。
つまり他者(社会)への関心です。
アドラーは共同体感覚(他者への関心)は人間の中にある可能性だと考えました。
しかし、この他者への関心力は使わなければ発達していかないとも考えました。
なので、アドラー心理学では人々の他者への関心力を高めることを目標に掲げています。
ひょっとすると、他者への関心力が高まるということが、人類の次の進化なのかもしれませんね。
【共同体とは?】
共同体感覚を理解する上で、共同体とはなにかを知ることは重要です。
共同体の範囲とは?と言い換えた方が良いかもしれません。
アドラーは共同体を全人類、動植物、無機物、さらには宇宙全体と考えました。
共同体の最小の単位で見ると、共同体とは私とあなたの二者です。
そしてその共同体の範囲を家族、会社、学校、市、都道府県、国、大陸、地球、宇宙というように広げて考えていくことができます。
なぜこのように考えるかというと、人間がより大きな共同体にとっての善の行動をとれるようにです。
アドラーは人の行動は共同体にとって建設的かそうでないかで判断すべきだと考えました。
このように考えることができると、個人間の争いや国家間の争いは普通起こり得ないでしょう。
より大きな共同体にとって建設的かどうかと考える判断力があれば、核ミサイルなんて保有しないわけです。
【ところで昨日のニュースとは?】
冒頭で書きましたが、昨日見て気になったニュースがあります。
それはロケットの墜落に関するニュースでした。
私としては、ロケットを打ち上げることって大きな共同体にとって善なのか?と疑問に感じたわけです。
そこには莫大な資金がいるし、エネルギーがいるし、CO2は発生するし、宇宙ゴミは増えるし、一方で宇宙の探索はできるかもしれない。
人間の好奇心は満たされるかもしれないけれど、そこに至る犠牲は大きいのでは?と考えてしまいます。
ロケットを飛ばす資金やエネルギーをもっと別の環境問題に費やしては?と思うのです。
なぜそれをしないかというと自己執着的だからでしょう。
自分の好奇心を満たすため、あるいは他の国よりも宇宙開発力を高めるためかもしれません。
そこに共同体感覚はないと言っていい。
【みんなにとってハッピーなニュースも!】
自己執着を感じさせるニュースばかりが世の中には流れていますが、実は共同体感覚を感じさせるニュースもなかにはあります。
私が感動したのは、カナダでプラスチックの製造や輸入・輸出を禁止するというニュースでした。
プラスチックによる環境汚染や人体への影響を踏まえた決断です。
プラスチックは確かに便利だけれども、それを作り、ゴミを排出することは、より大きな共同体にとっては建設的ではない。
そして、そのプラスチックにかけていた経費を、雇用にあてるといった情報もありました。
まさに自己への執着から脱した、共同体感覚の現れではないかと私は思いました。
そういった世界の取り組みを見ると、自分も勇気づけられます。
アドラーは次のような言葉を残しています。
『誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。』
【これからどうするか】
さて、今日は共同体感覚やその反対の自己執着について見てきました。
私たちの世界はまだまだ自己執着的ですが、そのなかで自分も自己執着的になる必要はないんです。
アドラーが言うように他の誰かが協力的でなくても、自分が共同体感覚を発揮する勇気を持つ。
たった一人が変わったところですぐには世界は変わらないかもしれないけど、世界が変わるにはたった一人の勇気から始めるしかないと私は思います。
アドラー心理学は勇気の心理学ですね。
『共同体感覚』理解することも実践することも難しい概念です。
ということで、少しでも考える機会になっていれば幸いです!
ではまた明日!
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