おはようございます!
ブログ再開から36日目の朝です!
皆さんは『オーバーシュート・デイ』についてご存知ですか?
オーバーシュート・デイというのは、人間が消費する地球の自然資源の量が、地球が1年で再生できる自然資源の量を超える日のことだそうです。
ちなみに今年のオーバーシュート・デイは7月28日だったそう。
お金で考えるとわかりやすいですね。
年収を7月28日までに使い切ってしまって、それ以降は貯金を切り崩すことになるということ。
そしてこのオーバーシュート・デイは年々早まっているようです。
このことを知ると人類の未来はお先真っ暗…
しかしながら、私たちの努力でオーバーシュート・デイが具体的にどれくらい遅らせることができるかも明らかになっています。
たとえば、世界で食品廃棄物を半分に減らすと、オーバーシュート・デイを13日ずらすことができます。
また、週に1日だけ肉の消費がない日をつくるだけで、オーバーシュート・デイを1.8日ずらすことができます。
さらには、自動車の制限速度を下げることで、オーバーシュート・デイを0.6日ずらすことができます。
こうした身近な取り組みで共同体に貢献できることを知っているのは重要かもしれません。
さて、前置きが長くなりましたが、このオーバーシュート・デイを遅らせるために必要なのは、私たち人間の共同体感覚と貢献感だと思います。
共同体感覚とは?貢献感とは?
アルフレッド・アドラーが創始したアドラー心理学をもとに書いてみたいと思います!
【自己執着がオバーシュート・デイを早める】
私たちはいろいろな欲求を持っていますね。
あれが食べたいとか、あそこに行きたいとか、こんな服を着たいとか、もっと便利に暮らしたいとか。
私たちは基本的に自分の欲求を満たすことに注目していて、その欲求を満たすことがみんなにとってどういうことかという視点をあまり考えないかもしれません。
アドラー心理学ではこのように自分にとってどういうことかという視点しか持っていないことを自己執着と考えます。
他者にとってどういうことか、社会にとってどういうことかを考えないということです。
私たちがそれぞれ自己執着的であるからこそ、地球の年収をそれぞれが好き勝手に消費してしまっているということです。
【共同体感覚がオーバーシュート・デイを遅らせる】
アドラー心理学には共同体感覚という思想があります。
これはつまり自己執着の反対の概念であり、ある出来事に対してみんなにとってどういうことだろうかと考える視点です。
共同体感覚は英語ではSocial Interestと訳され、すなわち他者や共同体への関心です。
アドラーはこの共同体感覚を人間のなかに内在する可能性だと考えました。
使えば育つけど、使わなければ育たないというわけです。
また、アドラーは共同体(つまり、『みんな』)の範囲を人類だけでなく、動植物や無機物さらには宇宙全体まで広げて考えました。
さらに、アドラーの高弟のドライカースは共同体の範囲を過去も未来も含むとしました。
そしてドライカースは判断に迷ったときはより大きな共同体にとって善かどうかを考えると良いということを述べました。
このように私たちが共同体感覚を発揮して暮らすことができれば、オーバーシュート・デイは自ずと遅れていくはずですね。
私がこの欲求を叶えることは、この行動をすることは、みんなにとってどういうことだろうかと考える視点を持って暮らすということであり、自己への執着から他者への関心へという個人の変化が必要ってことです。
【人類の幸福とは貢献感である】
私たち人間が幸福であると感じるのは、人の役に立っていると思える時です。
おいしいものを食べてしあわせ~とか、温泉につかってしあわせ~などの幸せもありますが、それは幸福感であり、満たしては冷めるものです。
一方で幸福とは知的に理解するものです。
役に立つことをして何らかのフィードバックがなくても、自己満足できるものです。
私たちはいま目の前にいる誰かのために貢献することもできますし、目の前には見えないけど共に暮らす人々のために貢献することもできます。
目の前にはいない誰かのために貢献的な行動をとれるというのは人間の強みかもしれませんね。
今日のオーバーシュート・デイの話にもつながってきますが、私たちはより大きな共同体にとって善である行動を意識的にとることで貢献感が得られ、つまりはそれが幸福であると感じられるということです。
【今日のまとめ】
私たちの自己執着的な行動を少しでも共同体感覚に基づいた行動に変えていくことで、みんながしあわせに暮らすことができます。
そしてみんなのしあわせに貢献しているということを知っていることが、幸福なんです。
貢献と言っても大それたすることをする必要はありません。
手を洗うときに節水するとか、食べ残しを減らすように作る量を調整するとか、こまめに節電するとか、そんな日常の小さな取り組みがより大きな共同体にとっては貢献なんです。
それを貢献と知っているかどうかは大きな違いがありますね。
こうして考えると一人で過ごしていようと、働いてなかろうと、共同体にとっての貢献感はいつでも得られるわけです。
最後になりますが、これから先もみんながしあわせに生きていけるように、アドラー心理学や共同体感覚という思想が広まっていくと良いなと私は思います。
ではまた明日!
アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために (ベスト新書) [ 岸見一郎 ] 価格:712円 |
絶望から希望へ 悩める若者と哲学者の”幸福”をめぐる対話 [ 岸見一郎 ] 価格:1,760円 |