原因から目的へ

私は眠りが浅くてたくさん夢を見る日がときどきあります。
そういうときは朝起きてから大抵頭痛が起こるのです…
翌朝、『頭痛ーる』というサイトで気圧予報を見ると、案の定「注意」だとか「警報」がでています。
そう、私は気圧の変化に弱いのです。
それが原因で体調を崩しやすいのです。
このように原因が明確になっていると予測と制御ができるわけですが、私たち人間は原因がわかると解決方法を見出せるので、ほっと安心できますね。

あらゆるモノや機械などは、不具合の原因を見つけてそれを除去したり、修理したりすることで改善すると思います。
ひとつの要因からひとつの結果があるのです。
しかしながら、【人間の心】にはそれが通用しません。
いまの私をつくっている原因を探っても、確かな決定因は決してわからないのです。
例えば、幼少期に親から虐待を受けたとしてもそれは【人間の心】をつくる影響因であっても決定因ではないのです。
なぜそう言えるかというと、虐待を受けてこういう大人になったという明確なパターンがないからです。(パターンがあるように見ようとすることはできる)
虐待を受けたから心を病む人もいますが、虐待を受けても前向きに生きていく人もいます。
つまり、【人間の心】はひとつの要因からひとつの結果があるのではない。
多くの要因から多くの結果があるのです。
【人間の心】は機械と同じように原因を見つけて除去したり修復したりすることはできないということです。

だとしたら、【人間の心】については、原因なんて考えるのをやめようじゃないか。
いまある私の心がなぜそうなのか?どこからきたのか?ということに関心を払うのではなく、これから私の心はどうなりたいのかに関心を払っていくことが大事だと思うわけです。
アルフレッド・アドラーはこう言いました。
「重要なのはどこから?ではなくどこへ?という問いだ」と。

「なぜ私はこうなのか?」ではなく「私はどうなりたいのか?」へ。
「原因」ではなく「目的」へ。

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