『感情』を使う暮らし方

人間の暮らし方には2種類があって、一つは競合的な生き方そしてもう一つは協力的な生き方だ。
アドラー心理学では、協力的な生き方を健康な暮らしと考えている。
どちらが健康かと言われれば字面からして‟協力的”な方だろう。
‟競合的”っていかにも良くなさそうだ…

競合的な生き方というのは、他者と不必要に比較してどちらが優れているとか劣っているとか、勝ってるとか負けてるとか、正しいとか間違ってるとかそんなふうにして他者を裁く態度をとることだ。
他者を裁くゆえに、他者を自分の期待通りに動いてもらおうとする。

競合的な生き方をしているかどうかを知るには、感情を手掛かりにできる。
他者に対して陰性感情を使うかどうかだ。
陰性感情とは、イラっとするとか、怒りとか、怖いとか、悲しいとかそんなようなマイナスの感情のことをいう。

例えば、子どもが言うことを聞かず、それにイラっとしてきつく叱ったというようなことをよく聞く。
これは明らかに競合的な構えだと思う。
叱る側にいる大人が正しくて、叱られる側の子どもが間違っているという縦の関係にある。
いくら子どもが大人から見て不適切な行動をしているとしても、協力的な構えであれば、感情を使う必要がないことを知っている。

ところで、私たち人間は幼い頃よく『感情』を使った経験がある。
感情を使って表現することで、大人を動かすことができるのだ。
私の2歳の娘なんかもよく感情的になる。
なにかうまくいかないことがあると困ったような怒ったような表情で「あ゛~!できない~!」などと大声で言って要求する。

子どものころは、このように感情を使って大袈裟にアピールすることで大人が援助してくれるので、感情を使うことは子どもにとって合理的な方法と言える。
もしも大人になって感情を使っているのであれば、それは子どものころに合理的だと思い込んでしまった不合理な方法をコミュニケーションに持ち込んでいるということだ。
つまりは、競合的な生き方とは、子どもの頃に学んだ他者を自分のために操作しようとする自己執着的な暮らし方なのだ。
もっと厳しいことを言えば、子どもの頃のライフスタイルを未だに維持しているということだ。

子どもにはこういった競合性を学んでほしくないと思う。
ライフスタイルを育てていってほしいと思う。
だからこそ、子どもが感情的に要求してきたときにはそれを叶えない方がいい。
2歳の娘でも冷静に言葉でもって伝える方法を教えると、それをきちんと実行することができるので子どもの学習はすごいと思う。
子どもに協力的な暮らしを教えるためには、自分自身が協力的な暮らしを知っていなければならない。

陰性感情をゼロにすることは果てしなく難しいことかもしれない。
ただ、陰性感情があってもそのまま感情的に行動しないことは選ぶことができる。
まずは自分の陰性感情に気づいて、心と体を落ち着かせることができるはずだ。
陰性感情があるときに自分でどれだけそれを抑えていると思っても、間違いなく相手には陰性感情が伝わるものだし、特に子どもは敏感なセンサーを持っていると思う。
だから陰性感情があるときには、黙っていた方がよいかもしれない。

陰性感情を使わずに理性でもってコミュニケーションをとる。
大人が協力的な構えで‟大人な対応”をすれば、子どもも‟大人な対応”をきちんと学んでくれると思う。
だから大人がまず大人にならねばならぬ。

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