おはようございます。
ブログ再開から9日目です。
最近、夜寝る前に簡単なストレッチをしたり、首を温めたりしてから眠るとなんだか睡眠の質が良くなっている気がします。
そんな工夫によっても朝早く起きれるようです。
さて、今日は私の娘(もうすぐ2歳)との昨日のやりとりについて、アドラー心理学の観点から振り返ってみたいと思います!
【娘とのやりとり】
昨日の夜、20時50分頃のできごとです。
娘はテレビでYoutubeを見ていました。
最近は21時には寝かしつけに入るので、私は「そろそろおしまいね」と娘に声をかけました。
すると、娘が「やだ!」「もう一回!!」と言いました。
それに続いて私が「じゃああと10秒ね」と言って、声に出して10秒カウントし、10秒経った瞬間に無慈悲にもテレビを消したわけです。
そうなるとやっぱり娘は泣いて抵抗しました。
私は「まだ見たいよね」とだけ声をかけてその様子を見守りました。
そしてすぐ娘は泣き止むんです。
で、いつものようにベッドに向かうことができました。
というエピソード。
【人のことに勝手に口を出してはいけない!】
アドラー心理学には『課題の分離』という考え方があります。
課題の分離とは、その課題はだれが取り組むべきことかということを区別する考え方のスキルともいえるかもしれません。
課題というのは、取り組むべきこと、引き受けるべきことと言い換えられると思います。
そして、どのように課題を分離するかというと、その行動の最終的な結末をだれが引き受けるかということを考えます。
今回の娘と私の例でいくと、テレビを見続けるかどうかは娘の課題ということなんです。
対人関係の葛藤は、ひとの課題に口を出すことから始まるといっても過言ではありません。
往々にして、大人は子どもの課題に口を出しやすい。
子どもの課題に親が口をだすことで、子どもの勇気をくじくわけです。
よくあるのは勉強しないとか宿題しない子どもに対して、「ちゃんと勉強しなさい!」なんて声をかけることです。
勉強や宿題をしない結果、その最終的な責任を引き受けるのでは親ではありません。
子どもなんです。
成績が落ちるかもしれないし、テストで良い点を取れないかもしれない…
そんなことを親は心配しますが、子どもからしたら余計なお世話なわけです。
子どもは自分の行動の結果の責任を引き受けることで学ぶことがあります。
課題に介入することで、体験による学びの機会を大人が奪ってしまうのです。
【どうしても口を出したいときは…】
ではどうしたらいいのか。
放任したらいいのか。
もしどうしても子どもの課題に口を出したいのであれば、課題の分離をしたうえで声をかけることはできます。
「勉強のことでお母さんの意見を言ってもいい?」とかそんなことです。
私が思うに、これに対する子どもの返答は「No」でしょう。(笑)
子どもが「No」というならば、それでおしまいです。
しかし、「手伝えることがあったら言ってね」などといつでもサポートできることは伝えることができます。
放任ではなく見守りです。
子どもが自分で課題に向き合えることを信じるということ。
一方でもし万が一、「勉強のことでお母さんの意見を言ってもいい?」に対して「Yes」の返答があったら、ようやく大人は子どもに意見を述べることはできます。(ただし感情的にならずに冷静に)
こうしてやっと子どもの課題に踏み込むことができます。
子どもと大人で課題を共有すること、一緒に取り組むことを『共同の課題』にすると言います。
【その結末を引き受けてもいいのか!?】
さて、話は戻りますが、昨日の娘と私のできごとです。
テレビを見続けることは娘の課題に違いありません。
テレビを見続けた結果の責任を引き受けるのは娘です。
どんな結末があるかと言うと、眠る時間が遅くなるとかブルーライトの影響で睡眠の質が下がるとか、目が悪くなるとかそんなところでしょうか。
しかしながら、この結末を引き受けていただくわけにはいかないんです。
たとえば、食事をしない子どもがいたとしましょう。
食事をするかどうかは子どもの課題です。
食事をしない結果、その責任を引き受けるのは子どもということ。
だからと言って、食事をさせないと命に危険がある。
固形物を食べないなら、飲み物で工夫するかもしれないし、それでもだめなら点滴をするかもしれない。
なにが言いたいかというと、その行動の結末の結果、その人自身もしくは他者に危害が及ぶ場合はその結末を体験してもらうわけにはいかないということなんです。
【どれだけその行動のリスク知ってる?】
その人がどれだけそのリスクを理解できるかということも重要だと思います。
私の娘で言えば、まだテレビを見続けるリスクを理解することはむずかしい。
だからこそ課題に介入します。
でも大人であればリスクを承知で行動しますよね。
たとえばタバコを吸うとか。
それに対してタバコをぽいっと奪い取って、「あなたの身体に害が及びます」なんて言えはしません。(笑)
リスクを承知ならば、それはその人の課題として見守るしかないのかもしれません…
(ただし、暴力などの他者に危害を加えるような行動には、警察がそうするように介入するべきです。)
今日は長くなったのでこの辺で切り上げようと思います。
もうひとつこのエピソードで書きたいことがあったのですが、それはまた明日にします。
ということで今回はアドラー心理学における課題の分離そして共同の課題、結末を体験すべきでないことについて書きました。
ではまた明日!