人を操作する心理学への批判

時々、無性に本屋に行きたくなるときがある。
特に何かがほしいわけでもなく、並んでいる本を眺めに行く。
本屋に行くと今の自分の興味を知れるということがよくある。
この前はまったく気にならなかったワードが、今日は目に止まるというようなことがあって、そういうときは学びのチャンスで吸収力が高まっていると思う。

ところで私は心理学を学んできたしそういう仕事もしているので、一応心理学コーナーは目を通すようにしている。
心理学コーナーを見て大変ショッキングなのは、人に好かれるための心理学だとか人を動かす心理学だとか、Yesと言わせる心理学だとか、とにかく他者を操作しようとするような心理学が大量に出回っていることだ。
きっとこういう本が出回るから人々は協力的に暮らすより、競合的に暮らしてしまうのではないだろうか。
出版社もそういうことを知りつつ出版していてやっぱり競合的だから、私はひとりで不買運動をすることにしている。

育児だろうが夫婦関係だろうが交友関係だろうが仕事の関係だろうが、他者を操作する方向では絶対に絶対にうまくいかないと私は信じている。
他者を操作しようと心理学を学んでいる間に、相手もどうせ同じ考えなものだから競合しないわけがない。

自分を変えるのではなく他者を変えようとするのは、自分が正しくて相手が間違っているという考えに基づいていると思う。
そういう考えに基づくといつも人と比較して、どちらが正しいとか間違っているとか、優れているとか劣っているとか、善いとか悪いとかを気にしていかなければならない。

だからといって、そういう他者を操作し、他者を裁くような生き方を選ぶこと自体は否定しない。
私はそれを選びたくないというだけで、他者がそれを選ぶことは他者の課題であって強要はしない。
もしも、私があなたも他者を操作するのをやめて、自分が変わることを選びなさいと説教を垂れるなら、それは結局他者を操作しようとする生き方だ。
変えられるのは自分自身だけなのだ。

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