みなさんごきげんよう(^o^)/
『他の人の期待に応える』ということについて、みなさんはどのような考えをお持ちでしょうか。ドラマなどで会社の上司が社員の肩をたたき、「期待してるよ」などと声をかける場面がよく見られます。社員は上司の期待に応えようと、せっせと働こうとするのです。他の人の期待に応えるということは、会社での出世のためであったり、誰かに認めてもらうためであったりなど、何かしらのメリットがあることが想像できます。職場の上司からの期待、家族からの期待、友人からの期待などなど…多くの期待が自分を取り巻いてはいないでしょうか。
さて、今日はアドラー心理学の立場から『他者の期待に応える』ということについて考えていきたいと思いますが、その答えは実にシンプルです。
アドラー心理学における答えは、他の人の期待に応える必要はないし、また他の人に期待してもいけないというものです。
こんな例を見てみましょう。お父さんが幼い子どもに対して、「たかしは賢いな。東大に行って医者になりなさい。」と言った。たかしは内心「ぼくは消防士になりたいのに…」と思っていた。
お父さんの子どもに対する発言は、期待感を含んでいることが分かります。ここで子どもが「そうだ!東大に行って医者になろう!」と考えて、父と子の目標が一致しているのであれば問題はないかもしれません。しかしながら、先の例のように一致していない場合は多いのではないでしょうか。
幼い子どもに対しての大人の期待感は、こうあるべきだという命令になりかねません。子どもに対して、より良い道を進むように親がレールを敷きたくなる気持ちは当然のことかもしれませんが、子どもは親の期待を満たすために存在しているわけではないのです。
大人が子どもに対して、日常的にかけている言葉には属性付与の意味を持つことがあります。簡単に言うと、『あなたはこうあるべきです』というレッテルを貼るのです。多くの場合、子どもはそれに反発することができず、強く影響されるでしょう。大人が貼ったレッテルに従って生きる、大人の期待を満たすために生きる、大人の価値観の中に生きることに繋がっていってしまうのです。
今回の記事では子育ての関係の中で生じることについて主に触れましたが、他の人の期待に応える必要はないということは全ての人に当てはめて言えることです。私たちは、他の人の期待に応えるために生きていないし、他の人の価値観の中に生きる必要はないのです。そして、他の人に期待することもする必要はない。アドラー心理学の中では、他の人の期待に応えて認められるのではなく、自らが自らを認めることが何より重要なこととされています。
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