おはようございます!
今日でブログ再開から25日目になります!
25日続けられるということが習慣化の1つの目安のようなので、なんとかそこには到達できたという達成感を感じています!
さて、今日は『得意を宣言する』をテーマに書いていきます。
人に得意なことはなんですか?とか長所はなんですか?と聞いてもなかなか答えられなかったりします。
逆に苦手なことや短所はたくさん出てくるのに。
私もそうなんです…
そこにはどんな心理があるのでしょうか?
どうしたら自分の得意や長所を自信を持って発表できるのでしょう…
【得意を言うって図々しくない?】
日本は謙虚であることを美徳とする文化がありますね。
そういった背景もあって自分の得意をアピールすることはそもそも少ないかもしれません。
過度にアピールする必要はないでしょうが、自分で自分の得意を知っている必要はあると思います。
そして求められれば堂々とそれを表現できることも必要ではないでしょうか。
しかし、人は「これが得意です!」と発言することを回避しがちです。
それは相手がどう思うか周りがどう思うか気になるという心の動きでしょう。
【他の人の方が自分より得意かもしれない…】
他者との比較のなかに生きている人、つまりアドラー心理学で言う競合的な姿勢で生きている人は、自分の得意を誰かと比較しようとします。
「自分は○○が得意だけど、あの人の方が得意だ。だから自分は得意と言う権利はない。」
こんなふうに考えることはありませんでしょうか?
実はここに問題がある。
【誰かと比較した得意でなくていい?】
そうなんです。
誰かと比較する必要はない。
この宇宙に自分ひとりしかいないと考えて、自分の中で比較した得意を見つけたら良いんだと思います。
例えば、学校のテストで考えてみましょう。
国語・算数・理科・社会・英語といった100点満点のテストがあったとします。
結果は国語10点・算数10点・理科10点・社会10点・英語30点でした。
ここでいうこの人の相対的な得意は英語ですね。
だから英語が得意だと言っていいわけです。
他の誰かの英語の点数が80点や90点であろうとそれは関係がない。
【得意と言い切ってしまうと立ち止まってしまう気が…】
得意と言いきることに抵抗があることは多くのひとに共通することではないでしょうか。
他者と比較してしまうから得意と言えないということは先にみましたが、他にも得意と言わない理由があります。
それは得意と言ってしまうことで自分の歩みを止めてしまう気がするからです。
実は人は優越性を追求し続けるので、理想を掲げて生きると永遠に『得意』には到達しない。
常に理想と現実のギャップに劣等感を抱き続けることになるんです。
そう考えると、いつまでも今この瞬間の自分を受け入れることはできない。
今この瞬間の自分の得意を認めなければ、私たちは永遠に満たされないわけです。
理想の自分ではなく今この瞬間の自分に注目するんです。
私たちは未完ではない。
【満たされない自分は他の誰も満たせない】
自分の得意を得意と宣言できなければ、人はいつまでも自分の劣等感を埋めることに執着します。
アドラー心理学では自己執着もしくは臆病な生き方と考えます。
一方で、自分の認め方を知っている人は、他者の認め方を知ります。
人と比べた得意ではなくて、その人の中の得意を見れるわけです。
そこに『勇気づけ』があります。
【そもそも得意って?】
得意っていうと何だろうと考えてしまうかもしれません。
私は得意を『好き』に言い換えてもいいと考えています。
私は○○が好きと言うのであれば、私は○○が得意と言うよりも言いやすい気がします。
「好きこそものの上手なれ」ということわざがありますが、好き=得意の関係があると思います。
メンタリストDaigoさんの著書である『「好き」を「お金」に変える心理学』の中では、時間を忘れて没頭できることや報酬がなくてもやり続けたいことなどを『好き』と呼んでいました。
この本はおもしろいことがたくさん書かれていたので、また別の記事で紹介したいと思います。
【今日のまとめ】
・自分の得意は人と比べない
・自分のなかでの得意を見つけて認めればいい
・自分の得意を認められないと、いつまでも満たされない生き方になる
・自分の得意を認められると、他者の得意も認められる
・得意がわからないなら、好きと言い換えてみる
ということで今日は『得意を宣言する』をテーマに書いてみました。
これを機に、他者と比べない自分の得意を宣言してみてはいかがでしょうか。
ではまた明日!
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