こんにちは!
ブログ再開から44日目です!
時間を取れず今日もさらっと書きます!
完璧に書けなくていいんです。
さらっとでいいんです。
そう自分に言い聞かせながら書いていきます。
完璧に書くことが目的ではなく、毎日少しでも役立つ気づきのあることを発信するのが目的なわけです。
さて、今日は我が家の『給料』の捉え方について考えてみたいと思います!
我が家では私が主に外で働いており、妻と子は家の仕事をしてくれています。
結論から言いますと、家での仕事と外での仕事を分業していて家族全体で『給料』を得ているということです。
このように捉えられないとどうなるでしょう?
外で働いて帰ってきた人が偉ぶるかもしれませんね。
「俺が働いて稼いだ金だぞ!」なんてね。
自分が働けているのは家族が分業を担ってくれているからだということを知らないわけですね。
外で働こうが専業主婦だろうが、保育園に行く子どもだろうが、そこに貴賤はない。
それぞれが家族という共同体のために役割をこなしているだけだと思います。
人体で考えてみてみましょう。
目や耳、鼻に価値の差はあるでしょうか?
人によって使いやすさはあるかもしれないけど、その部位自体の価値は対等なわけです。
協力してひとつの動きを作っている部分です。
家族も一緒で、その構成する部分はみな価値としては対等ということ。
家族という共同体の部分である母、父、子がそれぞれに役割を果たして、ひとつの動きを作り出しているんです。
家族という共同体に養われている自分を認め、家族という共同体に貢献を返していく。
貢献と協力、調和による家族を作っていけたなら、もっと大きな共同体がそのように作られていくのだと思います。
そしたら戦争も起こりはしませんね。
戦争を起こさないためにはいま目の前の家族から、いま目の前にいる人から対等な関係を結んでいかないといけないと改めて感じる今日この頃です。
ではまた明日!